大判例

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東京地方裁判所 平成5年(特わ)1335号 判決

本籍

東京都港区北青山三丁目五番

住居

東京都千代田区一番町二一番地三

ルミナス一番町七〇六号

会社役員

金子曉

昭和二一年一一月一五日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、当裁判所は、検察官富松茂大、弁護人河野敬、同笠井治各出席の上審理し、次のとおり判決する。

主文

被告人を懲役一年及び罰金二〇〇〇万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金二〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

この裁判の確定した日から三年間右懲役刑の執行を猶予する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、東京都千代田区一番町二一番地三ルミナス一番町七〇六号に居住しているものであるが、自己の所得税を免れようと企て、ルノワール作の絵画二点(「浴後の女」及び「読書する女」)の売買取引に関して受け取った仲介手数料収入を除外するなどの方法により所得を秘匿した上、平成元年分の実際総所得金額が二億三三一三万四二八一円(別紙1の修正損益計算書参照)であったにもかかわらず、平成二年三月一五日、同区九段南一丁目一番五号所在の所轄麹町税務署において、同税務署長に対し、その総所得金額が零で、これに対する所得税額は源泉徴収額を控除すると一二万八四七〇円の還付を受けることになる旨の虚偽の所得税確定申告書(平成五年押第一四三九号の1)を提出し、そのまま法定納期限を徒過させ、もって不正の行為により、同年分の正規の所得税額一億一二一五万六〇〇〇円と右申告税額との合計一億一二二八万四四〇〇円(別紙2のほ脱税額計算書参照)を免れたものである。

(証拠の標目)

一  被告人の当公判廷における供述

一  被告人の検察官に対する供述調書五通

一  立花玲子、石原優(三通)、宮田宗信(四通)、森一也(二通)、小野和彦(三通)及び石村厚実の検察官に対する各供述調書謄本

一  植田寿敏の検察官に対する供述調書

一  大蔵事務官作成の仲介手数料収入調査書、受取利息調査書、純損失の繰越控除額調査書及び生命保険料控除調査書

一  検察事務官作成の捜査報告書及び報告書

一  押収してある所得税確定申告書一袋(平成五年押第一四三九号の1)

(法令の適用)

一  罰条 所得税法二三八条一項(罰金刑の寡額については、刑法六条、一〇条により、平成三年法律第三一号による改正前の罰金等臨時措置法二条一項による)、二項(情状による)

二  刑種の選択 懲役刑と罰金刑を併科

三  労役場留置 刑法一八条

四  刑の執行猶予 懲役刑につき刑法二五条一項

(弁護人の主張に対する判断及び量刑の理由)

一  免訴又は公訴棄却の主張について

1  弁護人の主張

(1) 被告人は、本件脱税についての国税当局の調査がなされる前である平成三年四月二日に国税当局に出頭し、前記ルノワール作の絵画二点(以下「本件絵画」という)の取引等に関する事実を自らが知っている限りにおいて明らかにし、修正申告する旨申し出て、以後本件に関する国税当局による調査及び検察官による捜査に協力したのに、本件公訴が提起されたのは平成五年六月一六日であって、本件捜査は著しく遅延したものといわざるをえず、被告人はその間検察官による侮辱・脅迫を含む不当な取調を受けるなどしたため、多大の不利益を受けているのであるから、〈1〉最判昭和四七年一二月二〇日・刑集二六巻一〇号六三一頁、〈2〉最決昭和六三年二月二九日・刑集四二巻二号三一四頁等の判例の趣旨に照らし、本件については、免訴又は公訴棄却の判決をなすべきである。

(2) 被告人が右のとおり国税当局の調査がある前に自発的に修正申告をする旨申し出ていたことのほか、本件脱税の動機等の諸般の情状を総合すると、本件については起訴猶予が相当であって、本件公訴提起は、検察官がその訴追裁量権の範囲を逸脱してなしたものというべきであるから、本件については、公訴棄却の判決をなすべきである。

2  当裁判所の判断

(1)の主張についてみると、まず、所論引用の〈1〉の判例は、刑事事件が裁判所に係属している間に審理が一五年余中断するなどした事案について免訴の判決を言い渡すのが相当であるとしたものであって、捜査の遅延が問題とされている本件には適切でない。所論引用の〈2〉の判例は、公訴時効期間が三年(その事件当時)の業務上過失致死傷罪につき、被告人らの過失行為や当初の被害発生から一六年ないし一七年も経て公訴が提起された事案につき、結論的には、いまだ公訴提起の遅延が著しいとまではいえないとしたものである。本件犯行が既遂に達したのは平成二年三月一五日の法定納期限経過時で、その公訴時効期間は五年であるところ、本件の公訴提起は犯罪行為終了の約三年三か月後になされているのであって、所論が指摘するような諸事情を考慮しても(所論指摘の諸事情がすべてそのとおりに肯認できるというわけではないが、仮にすべてが肯認できるとしても)、本件の捜査(ないし公訴提起)が憲法三七条一項所定の迅速な裁判の保障との関係において著しく遅延したものとはいえないことは、右〈2〉の判例の趣旨に照らして明白と解される。

なお、所論に即して若干付言すると、第一に、所論が指摘し被告人が当公判廷で供述するような検察官による侮辱・脅迫等の点が仮に事実であるとすれば、まことに遺憾なことではあるが、この点が本件公訴提起の効力に影響を及ぼすとまでは到底解することができず、この点についての救済を求めるのであれば、それは別の法的手段によるべきものである。第二に、本件絵画取引には被告人のほか、石原優(株式会社アートフランス)、立花玲子(株式会社立花)、宮田宗信、森一也等かなり多数の者が関係しており、これらの関係者の中にも所得税や法人税をほ脱した者が存在しているところ、本件で提出された証拠だけでは、本件絵画取引を巡る税務調査や捜査の全貌を把握することはできないが、少なくとも、関係者の供述に重要な点で食い違いがあり、結局、三菱商事株式会社が本件絵画の代金として支払った額面一億円の無横線預手三六枚(額面合計三六億円)のうち三枚(額面合計三億円)の行方が不明のまま捜査が終了していることは、明白である。被告人が国税当局に対し当初から自発的に供述しているところに、重要な点での虚偽や隠蔽があったとまでは認められなかったとしても(但し、被告人が抜いた預手の枚数の点など供述に変遷がある部分もある。)、それは調査や捜査を尽くした上での結論であって、そのような結末に終わることが国税当局や検察官に初めから見通せたなどということはできない。なお、被告人の国税当局への出頭等の自発性の程度に問題があることは、後述するとおりである。

(2)の主張についてみると、検察官の裁量権の逸脱が公訴提起を無効ならしめる場合がありうるとしても、それは例えば公訴提起自体が職務犯罪を構成するような極限的な場合に限られると解されるのであるが(最決昭和五五年一二月一七日・刑集三四巻七号六七二頁参照)、所論のいう自発的な修正申告の申出が本件犯罪の成否に消長を来たさないこと及び本件の犯情が軽視できないものであることはいずれも後述するとおりであって、本件の公訴提起は検察官の健全な訴追裁量権の範囲内においてなされたものと認められる。

弁護人の免訴又は公訴棄却を求める主張は、いずれも採用できない。

二  実質的違法性を欠くとの主張について

1  弁護人の主張

(1) 被告人は、本件脱税に関し「更正があるべきことを予知」しないで自発的に修正申告をしたのであるから、行政罰としての重加算税は課されないはずであるところ(国税通則法六八条一項、六五条五項)、重加算税を課すべき違法性がない場合には、刑事罰を科するほどの違法性はないと解すべきである。

(2) 本件における被告人の脱税行為は本件絵画取引による仲介手数料収入を単純に除外したというものであり、他に全く不正な行為はなく(六合ホーム株式会社に対する貸付金の受取利息六八万円については、不正の行為はなく、仮装・秘匿の意思もなかった。)、右仲介手数料収入はすべて実名の預金あるいは取引に用いている。

(3) 被告人は、立花玲子の強い指示により本件脱税行為に及んだものの、正規の所得税額を支払えるよう常時現金等を準備しており、三年以内の然るべき時期に修正申告して正規の所得税額を納付するつもりであったのであり、また、現に自発的に修正申告をして正規の所得税額を納付済みである。

以上の点を総合すると、本件については、実質的違法性が欠如しているとして無罪の言渡をすべきである。

2  当裁判所の判断

(一) (1)の所論については、ほ脱犯と重加算税とは、要件は共通するところが多いが、要件を異にする部分も存するのであり、本件のように納期限前に虚偽過少申告をしたほ脱犯は、法定納期限経過時に既遂に達するのであって、その後の修正申告等の事実によってほ脱犯の成立は影響を受けないことは、所得税法等の関係法令上明白というべきであって(最判昭和三六年七月六日・刑集一五巻七号一〇五四頁等参照。なお、ほ脱犯につき、かつては、事後的な自首等があった場合にはその罪を問わないとする規定が置かれていたが、その後の法改正によりこのような規定は削除されている。)、所論のように、重加算税の要件を充足しなければほ脱犯も成立しないとはいえない。

関係証拠により、被告人が修正申告に及んだ経緯についてみると、被告人は、平成二年夏以降、国税当局が本件絵画取引に関し三菱商事株式会社や株式会社立花に対して税務調査を進めていることを聞知し、立花玲子ら関係者らとその対策につき話し合ったりしていたところ、平成三年三月三〇日本件絵画取引のことがアートフランス(石原優)の関与の点をも含めてマスコミ(新聞)に大きく報道されたことを契機として、同年四月二日友人の代議士の紹介を得て国税庁長官に面会し、簡単に本件の事実関係を説明した後、指示を受けた東京国税局の関係部局に赴いて事実関係の詳細を説明し修正申告をしたい旨の申出をし、以後国税当局の調査に協力しその指導に従って同年七月四日修正申告をしたというものである。これをみると、被告人は、早晩本件絵画取引に自己が関与していることが明かるみに出て国税当局に本件脱税が発覚するであろうと予測されるようになった時点で、国税当局に出頭したものとみられるのであり、本件脱税について全く波風が立っていないときに出頭したものではない(国税当局は被告人に本件脱税に関し重加算税の賦課決定をしているところ、被告人は異議申立をしてこれを争っている。この重加算税の点が本件ほ脱犯の成立には影響しないことは前記のとおりであり、本件で提出されている証拠からは税務調査の進捗状況も詳らかでないので、この点にはこれ以上立ち入らないこととする。)

(二) (2)の所論については、被告人が本件仲介手数料収入をすべて実名の預金あるいは取引に用いていることはそのとおりである。しかし、六合ホーム株式会社に対する貸付金の原資は本件仲介手数料収入の一部であること及び右仲介手数料収入が被告人個人に帰属することは、証拠上明白であって争いがないところであるから、右貸付金についての受取利息も被告人個人の所得になることは明らかであり、これが被告人経営のゴールドアンドクレーン株式会社に帰属するはずはないのであって、このことは被告人も当然認識していたものと認められる。したがって、被告人が右受取利息を自己の所得税の確定申告から除外したことも「不正の行為」に当たり、かつこの点につき被告人の故意に欠けるところもないことになる。なお、被告人が右受取利息相当額を右会社の手数料収入として確定申告していることは、右判断に何ら消長を来たすものではない。

(三) (3)の所論については、立花玲子の強い働き掛けがあったとはいっても、被告人もこれを受け入れて本件脱税に及んだのである。被告人は当公判廷において、本件確定申告当時から、いずれ三年以内の然るべき時期に修正申告して正規の所得税額を納付するつもりであった旨、所論に沿う供述をしているが、この供述は到底信用することができない。なぜならば、被告人が納期限を一年以上も経過してから本件絵画取引による収入を明らかにして修正申告をすれば(被告人が平成三年四月二日に国税当局に出頭したのは、マスコミ報道等が契機となっていることは前述のとおりであり、被告人がこれよりも早期に修正申告をする意思がなかったことは極めて明白である。)、その累が立花玲子(株式会社立花)、石原優(株式会社アートフランス)、宮田宗信、森一也らに及び、被告人のみならずこれらの者(会社を含む)も脱税で処罰されるなどの厳しい制裁を受けるであろうことは、被告人にも容易に予見できたはずであるし、被告人は立花らとのビジネス上の信義を重んじていったんは虚偽過少の本件確定申告をしたと供述するが、初めから正しい確定申告をすることよりも、二、三年後に自発的修正申告をすることの方がはるかに立花らに打撃を与えるのであり、立花らの事前の了解も得にくくなるであろうことは、火を見るよりも明らかであるからである。被告人には平成三年四月ころまで何時でも正規の所得税額を支払える程度の現金等の準備があったことは認めることができるが、右現金等の準備がそもそも納税のためのものであったか否かは定かでないというべきであるし、仮にこれが納税を意識してのものであったとしても、被告人が平成二年夏から本件絵画取引に関する税務調査を聞知していたことは前述したとおりであるから、本件脱税が何時発覚するかもしれないと危惧しこれに備えてのものとも考えられるのであって、この準備があったことの故に、被告人の前記公判供述の信用性が裏付けられるということもできない。結局、被告人は本件絵画取引に関する税務調査やマスコミ報道がなければ、本件所得税の納税義務が時効により消滅するのを待っていたであろうと推察されるところである。なお、被告人の修正申告の自発性の程度には問題があるが、被告人が修正申告して、係争中の重加算税を除き正規の所得税等を納付済みであることは、所論指摘のとおりである。

(四) ところで、本件のほ脱税額は単年度ながら一億一二〇〇万円余にのぼり、ほ脱率は一〇〇パーセントである。被告人は立花玲子の働き掛けにより本件犯行に及んだものではあるが、そのことからも明らかなように、本件犯行は被告人限りのものではなく、立花ら前記関係者の脱税を助長するという面をも有していたのである。したがって、本件の犯情はかなり悪質というべきであり、前記のような被告人の国税当局への出頭、捜査等への協力、修正申告及び納税等の諸点を考慮しても、本件につき実質的違法性が欠けるということはできず、弁護人のこの点の主張は採用できない。

三  量刑について

弁護人は、前記二1と同様の理由により、仮に本件につき実質的違法性が欠けるとまではいえないとしても実質的違法性は軽微というべきであるから、本件については最小限度の懲役刑に最小限度の執行猶予期間を付し、罰金刑を併科しないのが相当であると主張する。

しかしながら、弁護人の前記二1の主張が採用できず、本件の犯情がかなり悪質であるというべきことは前述したとおりであって、これによると、被告人の刑事責任には軽視を許されないものがあるといわざるをえない。前記のような被告人の国税当局への出頭、捜査等への協力、修正申告及び納税等の諸点のほか、被告人には交通関係の罰金前科一犯があるだけで他に前科前歴がないこと、被告人が本件を深く反省していると窺われることなど被告人のために酌むべき一切の事情を考慮しても、被告人に対しては、主文の懲役刑(執行猶予付き)及び罰金刑はやむをえないところと思料される。なお、本件の証拠関係からは、前記の被告人の国税当局への出頭の時点までに、国税当局が本件絵画取引に被告人が関与しているとの情報を入手していたとは認めがたいので、右出頭については自首に準ずる評価をするのが相当と判断し、特にこの点を考慮して、本件については同種事案の一般的量刑よりは懲役刑及び罰金刑を若干軽くしている次第である。

よって、主文のとおり判決する。

(求刑 懲役一年六月及び罰金三〇〇〇万円)

(裁判官 安廣文夫)

別紙1 修正損益計算書

〈省略〉

〈省略〉

別紙2 ほ脱税額計算書

〈省略〉

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